実績を振り返ると季晴は堅実経営を旨としているようにみえます。しかし実際には大胆な進取の気質の持ち主でした。先端技術の積極導入、最新設備への投資、将来の増産体制を見据えての工場移転など、一つ間違えれば会社経営を揺るがしかねないようなチャレンジを色々と重ねています。「やる限りには設備にしても技術にしても他より一歩先へ行かなアカン」が季晴の口癖のようでした。
新しい試みに少したじろいでいると「君にだけやれと言うんやない。お互いにやっていこうや」と言い聞かせました。同時に「三歩も四歩も前へ行ったら失敗や。一歩前へ。それを進んでやりなさい」とも。そうするうちに関西でも屈指の先進性と生産性を誇るメーカーとなっていました。
先進的なのは生産に関わることにとどまりません。独立採算制を導入し、会社の会計をガラス張りにして職場ごとの実績の増減、予算との比較などが見えるようにしています。当時業界で独立採算制を取り入れている会社はありません。社内、社外を問わず周囲は随分と驚きました。しかし、自分の働きがダイレクトに自分の部署に反映されるのがわかる、自分の部署の会社への貢献具合がわかる、というのは社員達の当事者意識の向上とやる気に大きく貢献しました。独立採算制の導入とは『田商店』ではなく、社会の公器としての会社であるとの宣言だったのです。「会社のために一生懸命であってもらいたい。私利私欲のためには一銭一厘とも許すわけにはいかん」と季晴は言い残しています。
当時を知るOBは「最初は大変なことだなと。その先進性は一歩や二歩じゃないですよ、半世紀ぐらい進んでた(笑)」「社員みんなが成果を求めて前を向いている。他社からは不思議がられましたね」「得意先の大きな会社でも独立採算制はやっていないけど、自分の成果が認められなかったらやる気なくなるだろうな、なんて思ってました」と語ってくれました。